大正琴ブームの歴史からヒントを得る

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大正琴のブームを振り返る
大正琴は過去3回のブームがあったと言われています。
第一次:1920年代
 軽量・安価な洋楽器(ピアノの代替品)として
第二次:1960~70年代
 古賀政男らの復興運動によるリバイバルブーム
第三次:1980~90年代
 低音域大正琴の発明によるアンサンブルの成立

最初は人気が出なかった大正琴
大正琴が新発売されたのが1912(大正元)年の9月9日。菊の節句だったので「菊琴」とも呼ばれました。当初は、大正琴がどんなものか、どうやって弾いたらよいのか誰も知らなかったので、人気はいま一つでした。しかし、森田吾郎の地道な宣伝によって、徐々に知名度が上がり、全国的に知られるようになりました。

第一次ブーム
1914(大正3)年の秋には、大正天皇に天覧を賜ることになり、大正琴の人気は急上昇していきました。この頃、大正琴用の数字譜や教則本も整備されて、人々が大正琴を楽しむための条件が整いました。時を同じくして、第一次世界大戦の影響で西洋楽器の輸入がストップしたことで、代替品として大正琴の人気上昇に拍車をかけたと言われています。

第一次ブームの時代背景
大正時代は、西洋音楽が徐々に庶民に浸透していった時代といえます。しかし、ピアノやオルガン、バイオリンといった西洋楽器は高価で、一般庶民には高嶺の花でした。一方で、三味線や琴は一般人が弾くような楽器ではなかったし、ましてや三味線や琴で洋楽を演奏するなんてあり得なかったのです。
軽便な西洋楽器はハーモニカしかなかったところに、安価で小型軽量、しかも演奏がカンタンな大正琴が登場しました。当時、楽器を持つということは生活の豊かさを示すシンボルでもあり、どことなくピアノと似た大正琴に人気が集まったのでした。

第二次ブーム
戦争の影響ですっかり影をひそめてしまった大正琴でしたが、戦地から復員した吉岡錦正や鈴木琴城らの演奏や指導により、徐々に息を吹き返していきました。
大正琴復活の決定打となったのが、1959(昭和34)年に村田英雄さんがカバーした『人生劇場』のヒットでした。この曲のレコーディングでは、作曲者の古賀政男が自ら大正琴を演奏しました。

火付け役は古賀政男
古賀政男は大正琴に深い思い入れがあったようです。そもそも古賀が最初に手に入れた楽器が大正琴でした。古賀は1912(大正元)年、7歳の頃に福岡県から当時の朝鮮の仁川に移り住みます。そこでいとこの良介君から大正琴をもらい、夢中になって弾いていたそうです。
幼少時代に夢中になった大正琴を自らの作品に取り入れたのが、村田英雄の『人生劇場』だったのです。
古賀は1965(昭和40)年以降、サフォー楽器製造(のちにスズキに合併)と提携し、自らの顔写真入り大正琴『KOGA TONE』を販売しました。さらに、自身の作品の大正琴カバー制作に際しては、自ら大正琴を演奏してレコーディングに臨みました。
このように古賀はかなりの「大正琴推し」だったと言えますが、当時の音楽界の大物が世間に与える影響力は大きかったものと推察されます。古賀が亡くなった後ですら、『復刻版 古賀大正琴』がテレビ通販で売られたほどです。

第二次ブームの時代背景
戦後復興が進んで衣食住が満たされ、多少のゆとりが生まれてきたら、音楽を楽しみたいという需要も大きくなってきます。ちょうどその頃に流れてきた『人生劇場』を聴いて、戦前の大正琴を懐かしく思い出した人も多かったことでしょう。
楽器を始める場合、依然としてピアノは高価でしたし、人気が出始めていたギターはカンタンに習得できない。やはり、安価で奏法が容易な大正琴の優位性は第一次ブームの時と同じでした。
しかもこの頃になると、大正琴は進化しており、5弦が一般的となって音色も充実していました。さらに大正琴教室が各地で開講され、指導方法の研究開発も進んできました。
当時の時代背景と楽器、指導者の充実に『人生劇場』や『絶唱』(1966年)といった大正琴を取り入れた曲のヒットが相まって、大正琴は復活を果たしました。

明治百年と懐メロブーム
1968(昭和43)年の明治百年を迎えるにあたり、日本の近代化を評価する機運が国民的に盛り上がりました。音楽の世界でも明治百年を記念するイベントが開催されました。「懐メロ」ブームが起こって戦前の流行歌手が復活してきたのもこの頃です。
元号『大正』を冠した『大正琴』も同様な文脈で捉えられたのかも知れません。この頃から「大正琴」=「レトロ」というイメージが定着したものと思われます。

ドルショックとギター産業
1971(昭和46)年に起こったドルショックによって名古屋を中心としたギター産業は大打撃を受けました。急速な円高によって、安価で海外に輸出することができなくなったのです。そこでギターから人気上昇中の大正琴に転向したメーカーが多かったそうです。
大正琴を販売するために、メーカーと流派(家元)が一体となって活動するという仕組みも出来上がりました。メーカー・流派・教室の一貫体制で大正琴の普及が進められました。

第三次ブーム
1980年代になると、従来の大正琴より音域の低い『低音域大正琴』が発明されました。大正琴は従来、ソロで演奏するか伴奏つきで主旋律を演奏するかしかありませんでした。
ところが、低音域大正琴の発明によって、『大正琴アンサンブル』が可能になりました。
『大正琴アンサンブル』によって、大正琴は音楽的に大きく進歩しました。音大出身者等、音楽の専門知識を持った人材によって合奏譜が整備され、大正琴は楽器として確固とした地位を築き上げました。

第三次ブームの時代背景
第三次ブームの始まりは、都市部ではなく地方の主婦層でした。80年代当時、各家庭に家電製品が普及して女性の家事労働の負担が軽減されました。農家の奥さんなど、地方の主婦であっても、楽器を楽しめる時代が到来しました。
五線譜が読めなくても弾けることは、やはり大正琴が選ばれた大きな要因だったと考えられます。加えて、「発表の機会」が、意欲向上に資するものであったはずです。綺麗な衣装を着て憧れのステージに上がって演奏できるというのは、彼女たちに大きな希望を与えたのでした。
大正琴を自転車にくくりつけて、教室まで何キロも走ったり、家族に隠れて納屋で練習したりという逸話からも、意欲の高さをうかがい知ることができます。

第四次ブームが来るとしたら❓
これまでの大正琴ブームの歴史をヒントとして、今後「第四次ブーム」を起こすには、どうすれば良いでしょうか?
気軽・カンタンを前面に押し出した『新しいおもちゃ戦略』については、別の記事で取り上げることとして、ここではSNSの活用について考えたいと思います。
現代社会で流行を起こそうと思えば、SNSの活用は必須条件であると考えています。そのためには、2つのルートがあると考えています。

内側からの発信
これは、大正琴の世界の人間が発信することです。現状では、SNSの世界で充分に強い影響力を持っている方(インフルエンサー)はいないため、バズを起こして一気に知名度を上げたいところです。
一発バズらせるためには、超絶上手い腕を持っているとか、従来の大正琴のイメージとかけ離れた人物であることが必要です。私の脳裏に真っ先に浮かぶのは、プロ奏者の心馬さんです。琴修会の松野先生も、これまで色んな切り口からYouTubeやTikTokに動画を投稿され、大正琴を知らない層にも注目された実績があります。

インフルエンサーを取り込む
すでに世間に影響力を持っているインフルエンサーが大正琴を紹介してくれたら、確実に効果が表れそうです。問題は、楽器市場に強い影響力のあるインフルエンサーを探し出すこと。次に、その方が心の底から大正琴にハマってくれること。もし実現すれば、現代の古賀政男として絶大な威力を発揮してくれると思います。

あなたのシナリオも教えてね
以上2つが、私が考えたシナリオですが、より良いアイデアがあるかもしれません。これぞと言うシナリオがある方は、コメントいただければ幸いです。

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停滞は破滅への道
森羅万象は無常です。変わらずに滅するか、変化しながら生き残るかのどちらかです。
何もしなければ、現在の流派・教室一択の制度、「おばあちゃんの楽器」としての大正琴は衰退せざるを得ないと思われます。いま大正琴は、新しい可能性を開拓するか、消滅するかの分岐点なのかもしれません。

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